現金での支払いをする必要があって、スーパーで買い物したついでに
キャッシュアウトもしてきた。
オーストラリアでは、ほぼ全てキャッシュレスで事足りるので、
友達同士で外で会っても、誰も現金なんて持ってない。
(日本も今はそうなのかな??どうなんだろう)
本当に久しぶりにお札を手にして、まじまじと見てしまった。
なんか、いつの間にか柄も変わってる。
こんな時代が来るなんてねー。
「形」としてしっかりと目に見えていないと、
そこに「ある」と証明されなかったものが、
形はなくてもちゃんと存在を誰もが認めるようになった。
その暗黙の了解の上で、物事が進むようになった。
考えてみたら、本当にすごい変化ですよね。
「当たり前の生活」の定義や古い慣習はこうやって少しずつ変わっていく。
ひと昔前は、お金に対してのリスペクトとして、
お札の向きを並べるとか、レシートは財布に溜めないとか、
そういうプチアドバイス的なことも言ったりしてたけども、
そもそも最近は財布持ち歩いてなかったり、
レシートだって「もらわない」という選択が定着してきてもいるから
(注:オーストラリアではそんな感じ)
そんなアドバイスも全く現実味がなくなってきてしまってる。
今のこの時代に、お金に対してリスペクトを表すなら、
「ここに来てくれてありがとう、居心地いいように整えるね(私の場所で)」
ってことではなくて、
いつも川の流れのようにそこに「あって」くれて「ありがとう」、
そして、必要な時に必要な人のもとに循環している美しさに気づき感謝する、
「流れていてくれてありがとう」
そんな感じがいいのかなと思う。
どんな教えやアドバイスも、その時代背景と環境で生まれた物だから、
時代が変わって、当たり前が変わったら、
やっぱり日々見直してアップデートしたり、考察し直さなきゃね、と常々思う。
風水だって占星術だって、なんでも同じ。
習ったことだけをなぞっていたら、
ある時それでは全く的外れになってしまっていることに気づくんじゃないかな。
だから。
セオリーだけではなくて、常に自分の頭で考える癖をつけなきゃいけないよね。
そのための基盤となるコアな知識、そして応用力と柔軟性。
「強い者、賢い者が生き残るのではなく、変化できる者が生き残る」
と、進化論のダーウィンさんもおっしゃってたじゃないですか。
あっという間に「当たり前」が塗り変わっていくこの時代。
頭も心も柔軟体操して、変化し続けていきたいですね。