人は自分の意見を主張する生き物です。
意見の違う人とぶつかって、ついむきになって自分の意見がいかに正しいかを主張する、そんな経験はきっと誰にでもあるのではないでしょうか。
もしくは、ぶつかった相手に主張する事はかなわず、でも納得はいかず、ふつふつとした気持ちだけが残ってすっきりしない、とか。
自分の意見の正当性を主張したくなるのは誰にでもあること。仕事上では、それが必要となる場面も多々あります。ただ、プライベートの部分で、その傾向が強すぎる人は要注意です。
人はそれぞれ、違った環境で育ち、違う意見を持っているもの。
世間一般では「こう言う時にはこう反応するのが常識」というのがあったとしても、それがその人の常識とは限りません。
ましてや、違う国に行き、多文化の人達と触れ合うと、その「世間一般の常識」すらも国によって全く違っていたりするものです。
私は、そのことをオーストラリアや中国で生活してきた中で痛感しました。
「本当に常識なんて人それぞれ。どれが正解、不正解ってものではない」と、するんと受け入れることができるようになり、前より楽になりました。
これって、なにも国の違う人達の間だけの事ではないんですよね。
同じ言葉を話し、同じ文化を持つ日本人同士であったとしても、考えていること、意見は当然ながら、みんな違うんですよね。わかっているようで、ついつい忘れがちになってしまう。
特に、一番親しい間柄である、夫婦だったり親子だったり兄弟だったり…。自分の「正しい」と思うやり方で行動して欲しい、接して欲しいと、ついゴリゴリ押してしまいがちですよね。
そして揉め事が多くなる。イライラもつのる。自分は正しい主張をしているのに、分かってもらえない、と寂しく思う。
だけど、ちょっと考えてみてください。
分かっていないのは、あなたも同じ。相手もやはり同じように、分かってもらえない、と寂しく思っているかもしれません。
「こうでなくてはいけない、『正しく』なければいけない」と、こだわりすぎたり、自分を絶対に曲げられなかったりすると、他の人の気持ちを受け取ってあげることが全く出来なくなってしまいます。
相手の考え方や感じ方や行動を変えることはできないけれど、自分の解釈の仕方をちょっと変えてみませんか。
相手の行動には賛成はできないけれど、どういう気持ちが根底にあって、どうしてそういう行動に出たのかを想像してみる。
本当にして欲しいこととはちょっと違って的もはずれているけれど、自分の「思い込み」を捨ててみる。「まぁいいか」と容認してみる。
夫婦で子供の育て方についての意見の違いでぶつかっているなら、根底にあるのは「子供が大切。幸せな子供に育って欲しい」という気持ち。
言うことをきかない子供にイライラするなら、子供側にあるのは「ちょっと自分の力を試してみたい」っていう気持ち。
その大元の「気持ち」の部分をそのまんま受け止めてみる。ジャッジせずにね。
そんな風に少し心がけるだけで、イライラギスギスした気持ちはずいぶん緩和されるのではないでしょうか。
そうやって少し視点をかえて見るようにしていくと、だんだん相手の気持ちも分かるようになってくる。感謝の気持ちだって出てくると思うのです。そして、さらに、そのまんまの相手を受け入れるのが上手な人になっていく。
「みんな違って、みんないい」と思えたら、お互いに優しくなれると思いませんか。
ぜひそんなことを思いながら、窓ガラスを拭いてみてください。曇りを取り除いてみることは、自分だけのもやもやした思い込みで相手の気持ちが見えなくなっているのを、クリアーにする手助けになりますよ☆