時にはNoと言える自分でいよう。
これこそ、日々、自分に言い聞かせてることです。笑
特にコミュニケーションにおいては、思い違いだったり、表現の掛け違いを見直すだけで、かなりスムーズになるんだと思う。
「望む物が手に入らない、物事が思うように行かない…」と思い悩む事はありませんか。
そんな時、その時のあなたは「受け取り下手」になっているだけかもしれません。
前回の投稿で「受け取れる人は与えられる人」と書きました。
受け取れる人は、与えられる人。
YokyYokyブログ「受け取る人は与える人。受け取らない人は与えない人。」より
「迷惑とかかけるの嫌だし」と、誰かの優しい手を断るくせがある人は、本当の意味での「喜び」を循環させることをストップさせてしまっているんですよね。誰かの「喜び」を奪っているの。そのことに気づいたなら、受け取ることへの罪悪感も少しづつ軽くなっていくのでは?
まずは「ありがとう!」と受け取ってみてくださいね。
ここで注意してほしいことが一つ。
『受け取り上手になる』とは、自分が本当は要らないと思っている事までの全てを受け入れなきゃいけないってことではありません。
私は以前、その根本の気持ちの部分が嬉しいからと、いただいた全てを「ありがとう!!」って受け取っていました。「申し訳ないけど要らない」ということが、なかなか言えなかったんです。
だけど、そうしていると「自分が本当は何が好きでどんな本質なのか」を周りに見せていないことになると気づきました。
「その気持ちはとっても嬉しい。でも申し訳ないけど要らない」と相手にちゃんと伝えていくことが大切だったりします。それが、自分はどっちの方向を向いているのか、向かっていきたいのかと、周りに、そして宇宙にオーダーしていくということになるのです。
受け取れる幅は狭まるけれど、結局は受け取る出来事の方向性は一貫してきます。
『心の底から本当に嬉しくて受け取るもの』vs『本当は要らないけど、その根本の気持ちが嬉しいから受け取るもの』
やっぱり、この2つだったら、心の底から湧いてくる感謝の度合いはどうしても違ってきてしまう。
実は、相手との気持ちの釣り合いも取れなくなることにもつながるんだと、相手を尊重していることにはならないんだと、気づいたんです。
これを書いていて、以前、旅行先で父に昆布飴を買った時のことを思い出しました。
お土産を渡すと、父は「これ、好きだったんやー。なんで知ってたん。ありがとなー」とすっごく喜んでくれました。
「そうか、父は昆布飴が大好きなんや」と次の旅行の時も昆布飴をお土産に持って帰りました。父はまた喜んでくれて、そんな父の嬉しそうな笑顔に私も嬉しくなりました。
しかし、後でこっそり母が「あんな、父ちゃん、実は嫌いやねん。昆布飴」と言うじゃありませんか⁉︎
それを聞いた時は「そんなんなら、好きって言わんといてよー」と思ったのですが、父は私を喜ばせたかったんでしょうね。最初から「こんなん嫌いだから、いらんわ」って言われたら傷つきます。
ただ「相手の気持ちが嬉しいから」と、好きでもないのに「大好きやねん」と受け取っていて、毎回嫌いなものを持ってこられたら、それはそれでしんどい。
こんな時はどうしたらいいと思いますか。
父に喜んでもらいたい娘の気持ち。娘の根本の気持ちが嬉しいから受け取りたい親の気持ち。そんなお互いの気持ちを尊重したまま嫌なものは嫌と伝えるのも、回り回って相手の気持ちを受け取ることになるんじゃないかな。
例えば、最初にもらった時に「お父さんちょっと苦手なんやけど、お前の気持ちが嬉しいわ。考えてくれてありがとうなー。喜んで食べるわー」と言ってもいい。そうすれば、「お父さんのことを思った気持ちを受け取ってもらえた」と、その時の私の気持ちは救われるし、次は本当に好きなものを買ってこようと思えます。
もし、1回目の時に正直に言えなくて、また同じ昆布飴持ってこられたら「わざわざ俺のこと思ってくれてありがとうなー。でも実は物とかじゃない方が嬉しいねん」と、そこで伝えるのも手ですよね。
そうやって、自分の中のYES/NOを周りにも自分自身にも伝えていけると、自然と軸ができて生きやすくなっていきますよ。もちろん、相手の根底の気持ちも尊重しながら。
一朝一夕ではできないかもしれませんが、すこしでも意識していけるといいですね。